プロフィール

目次
1.幼少期から学生時代
2.第3胸椎腫瘍で首を動かせず3ヶ月入院
3.ほぐし屋与治右衛門のはじまり
4.目指す将来

1.幼少期から学生時代
千葉県船橋市にで3人兄妹の長男として生まれました。

幼いときは両親や友達の関心を引きたくて、わざとふざけたり、よく騒いでいたりと元気の良い子供でした。

小学4年生にソフトボール部に入部しましたがあるとき、みんなと走り方が違うことに気付きました。
そのことを母に尋ねると右足首にへその緒が巻きついた状態で生まれて、すぐに手術をして石膏で右足全体を固めていたそうです。
この話を聞いたときに、少し足首が曲がりにくいですが、できないことを嘆くのではなくできる範囲で精一杯やっていこうと思いました。

中学時代は科学実験に興味があり、夏休みの自由研究は何でも溶かす液体を作るために、子供では手に入れられない薬品を親を説得して入手して、実験した結果を発表をしました。
部活動は運動が苦手なため吹奏楽部へとに入部しましたが、顧問の先生から唇が分厚いという理由でチューバという楽器を演奏していました。
合奏することでみんながひとつになる感覚が楽しかったです。

また、家庭科でならった料理を自宅で作って友人に食べてもらった時の「うまい!」と言って喜んでもらったことが、料理が趣味となったきっかけになっています。

高校時代は、趣味の料理に繋がるかもしれませんが、特に化学の「物質がどのような構造で出来ているか、相互作用でどのような変化するか」ということに興味が持ちました。
部活動は引き続き、吹奏楽部に入部し、卒業生のプロの演奏をまじかで見る中で楽器を通して自分を表現することの楽しさを経験しました。
ただ、部長としてみんなをまとめていく中で、いろいろな部員と意見が衝突することがあり人間関係の難しさを痛感しました。

また、通学経路には谷津干潟があり、毎日鳥を見ていく中でバードウォッチングに興味がでてきて、日本野鳥の会に一時入会して県内の野鳥観察会に参加していました。

1年浪人して大学に入学しましたが、化学の勉強よりも吹奏楽サークルに打ち込みました。
練習終了後に仲間と居酒屋で膝を突き合わせて酒を酌み交わしながら、音楽談義や恋愛のことで盛り上がっていました。
学生指揮者をしていましたが、演奏者の能力を引き出すためにどのように指揮棒を振ればよいか、毎月プロの指揮者から指導を受けたり、合奏のまとめ方の講習会に参加したりしていろいろと勉強をしていました。
一曲の仕上げるために一人だけが目立つのではなく、演奏者全員が一体となるように調和するように指揮することを心掛けていました。

2.第3胸椎腫瘍で首を動かせず3ヶ月入院
就職活動は、バブルが弾けて就職氷河期の時代で、希望する食品会社にはことごとくお断りの返事で焦っていました。

親から大学の費用を捻出してもらったこともあり、なんとか就職して両親に安心してもらおうと、職種を選ばず就職活動をしていきました。なんとか車のメーカーへ部品を販売する会社に就職することができました。

そんな新入社員として働き始めて3ヶ月が過ぎた頃です。
右の肋骨のあたりが「チクッ、チクッ」と痛み始めました。
そのうち痛みが引くだろうと放置していましたが2週間経っても変化がありませんでした。

上司と相談したところ、「一度、病院に行ってしっかりと検査して来い!」と言われました。
早速、病院で問診や検査を受けましたが異常はなく、肋間神経痛と診断され、痛み止めの薬を処方されました。

しばらく薬を服用していましたが、まったく症状が改善されず、数ヶ月が経っても「チクッ、チクッ」と痛む症状が続きました。

『何かおかしいぞ?』と思い、再度、同じ病院を受診しましたが、結局、原因がわからず病院を後にしました、、、

この日から体の不調があっても、病院の先生が「異常はありません」と言っているんだから、気のせいだと自分に言い聞かせて過ごすことに決めました。

しかし、日を追うごとに痛みのレベルは強くなりました。
「チクッ、チクッ」だったはずの痛みが、「ズキッ、ズキッ」に変化していき、「ズーン、ズーン」という感じになっていました。

病院に行きたいなぁと思いながらも 、また「特に異常はありませんね」と言われるだろうという思い込みや大口の顧客の担当を任され、仕事が多忙を極めていて、冬休みまでなんとか気合いで乗り切ろうと考えていました。

会社の上司には2回の病院の検査結果から、「気のせいだろう」と言われると思い、特に相談しませんでしたが、仕事中に痛みがひどくなり、トイレに行くと言って、用を足す振りをして、便座に座りながら「ズーン、ズーン」という痛みが止まるまで耐えていたときもありました。他にも、仕事帰りに酒を飲んで痛みを忘れるようなこともありました。

そして、冬休みになる1週間ほど前に、仕事中に背中が痛いなぁと思って、左の肩甲骨あたりを触ってみると500円玉くらいのシコリがありました。

いよいよ、これは「まずい!」と冬休みに病院に行く決心しました。
冬休みになり実家に帰ると、ハードワークのために緊張していた糸が切れたのか、下半身の痺れとあぶら汗が出るほどの我慢できない痛みが襲ってきました。

痛みの度合いが病院で診察を受けた時より、段違いに大きくなっていました。 痛みをうまく表現することができないくらいの痛みでした。

急いで近くの病院でエックス線検査をすると、第3胸椎の色が他の部位に比べて透けていました。

この病院ではこれ以上の処置ができないということで、千葉県がんセンターへ紹介状を書いてもらい翌日には入院することになりました。

千葉県がんセンターで改めて検査を受けた後、担当医になる先生から「よく腫瘍がここまで大きくなるまで我慢していましたね。

今は腫瘍が大きくなりすぎて脊髄の神経を圧迫しています。このまま放置しておくと、最終的には下半身不随になります。手術はうまくいくとは思いますが、すべての腫瘍を摘出するのは難しいです。再発の可能性もあります。
他にも手術の後遺症で神経が傷付き最悪の場合は車椅子になるかも知れません。」と言われました。

そのときの私は『前の病院で原因不明と言われたから我慢してたんだよ(怒)それより、痛みが取れるのだったら、なんでもOK。早くなんとかして。生きていれば何とかなるから。』という思いでした。

入院してからは痛み止めが良く効き、少し落ち着いてきました。そうするとある思いで頭の中で一杯になりました。
それは年明けからの仕事に穴を開けてしまったことに対する会社の仲間への申し訳ない気持ちです。
また、何故こうなったのだろうという自分に対する憤りと自分の不摂生に対する反省の思いも湧いてきました。

しかし、そんな思いは決して皆の前では表に出さず、手術前に昼間は家族やお見舞いに来てくれた人に「全然平気だから、心配しないで。大丈夫!!」 と明るく振舞っていました。
その一方で、夜になると「この後いったいどうなるんだろう、死んじゃうのかな?」とか「もう、歩いて好きなことができなくなるのかな?」といった不安で朝になるまで泣いたこともありました。

手術まで1週間ありましたがその間にさまざまな検査や準備をしました。
造影剤を使って腫瘍の位置を詳しく確認したり、まるでマンガで出てくるような太い針で背中に差して腫瘍細胞を取り出して細胞の成長度合いを確認する検査もしました。

信じられないかも知れませんが、手術は他人の血を輸血しない方針だったので造血剤を飲んでは看護師さんに自分の血を抜いてもらい、手術に備えて貯めていきました。

手術の2日前になると腰から下が痺れだしました。先生がはじめに言ってくれた事が
ここにきて現実味を帯びてきました。「、、、このまま放置しておくと、最終的には下半身不随になります。」

手術当日は、整形外科をはじめ、呼吸器科、麻酔科、循環器科など各専門医の部長クラスがバックアップするというので 改めて、自分の症例がレアなケースであることがわかりました。

手術には約10時間掛かったそうです。手術後は、そのままICUに行き、手術後の経過観察が始まりました。
ICUには3日ほどいたと思うのですが、とにかく痛みが激しくパニックになっていて記憶が思い出せません。

唯一覚えていることは、麻薬性鎮痛剤のモルヒネが効かなくなり、次に処方されるまでの間、痛みに耐えきれず失神を繰り返していたことです。

ICUから一般病棟に移る頃になると、だいぶ痛みは治まってきました。
ところが、実はここから大変な苦労をしました。

手術で腫瘍と一緒に取った骨の一部が完全に出来上がるまで首を動かしてはいけないと言われましたからです。

どうするかと言うと、首の両側に砂袋を置いて固定します。
天井を眺めることしかできないので、目だけを動かしながら、部屋の天上の板は何枚あるか?板に開いている穴は全部でいくつ?と数える日が1週間くらい続きました。

そのころになると親戚や会社の同僚、大学時代の友人が見舞いに来てくれましたが、私の激変した姿にみんな一度声が止まっていました。

そこで初めて自分の体を見ることができないことに気付きました。

でも、自分の体を見ることができなくてよかったのかも知れません。自分が一番ショックを受けたんだろうと思います。

というのは、数カ月を経過して骨が出来て初めてベッドアップした時に、自分の体が思っていた光景とまったく違っていたからです。

自分の身体が骨と皮しかなく、筋肉がほとんどありませんでした!それはあたかも、飢餓で苦しんでいる人のようでした。

ベッドアップがOKになってからはリハビリになりますが、まず首のコルセットをつける所から始まります。
このコルセットを着けると頭と体が固定されていたので、まるでスターウォーズに出演している全身金色のロボットC-3POのような動きでした。

リハビリは車椅子からスタートしましたが、腕の筋力が全くないので10m移動するのが精一杯で帰りは看護婦さんに病室まで送ってもらいました。

歩行器や杖をついて歩けるようになると、先生から「とにかく歩いて筋肉をつけてください」と指示があり、病院の中を探検して各病棟に入院している人の様子をみたりしていました。

病院の外も散歩して良いと許可が得られたときは調子に乗り、帰る体力を考えずに500m先の本屋さんに行き、帰り道で体中の力が入らなくなり、このまま病室に戻れないかもと自分の体力のなさにがっかりしたこともありました。

3.ほぐし屋与治右衛門のはじまり
退院の目途がたった頃、ふと手術前に自問自答していたことを思い出しました。

どうして、病気になってしまったんだろう?といろいろと過去を振り返って、考えてみました。

、、、自問自答し続けて、最後の最後にたどり着いた答えは

『自分の身体が発している助けて!という声に耳を傾けていなかった』
ということでした。

あの時の痛みは仕事に対する過剰なストレスで身体が「助けてください。このままじゃ、もたないよ!!」と叫んでいたんですね。

それ以外にも大学生から社会人になり、新しい環境の変化がストレスになっていたことも
原因のひとつかも知れません。

この病気になった答えに気付いてからは、毎日のように病院の中を歩きまわり入院や通院している人を観察していました。

しばらく、病院にくる人たちをを見ているうちに私のように身体の声に気付かずに
病気になってしまう人を増やしたくないと考えるようになりました。

ようやく退院することになりましたが、経過観察のために定期的に通院することになりました。

そんな中、私はレイキヒーリングというものに出会いました。

ここで簡単にレイキヒーリングを説明すると、掌から出るエネルギーを心身の不調箇所に流すことで滞りを解消し心と身体を本来あるべき状態に回復する、効果的な癒しの技法です。

また、アメリカ・イギリス・スペインをはじめ世界各国に普及し、先進国の医療にも取り入れられています。

私はレイキヒーリングを学び、自己ヒーリングを続けていく中で、少しずつですが、自分の身体の不調に気付くようになりました。

さらに自分の健康を取り戻し始めると、他の人が病気になる前に心と身体のケアをするサポートをしたいと真剣に考え始めました。

そこでレイキヒーリング以外にも、実際に自分が体験してみて気軽に出来て効果があった技術を深く学んでいきました。

二十数年前と比較し、現在は生活環境や食生活などが多様化し、自分の身体の声が聞けない人が増えているのではないでしょうか?

しかし、そんな人が自分の身体のチョットした不調に気付き、メンテナンスすることができれば私のように病気にまでなることはないはずです。

私の場合、そのまま病気を放置していたら、下半身不随になり車椅子での生活を一生送っていたでしょう。また、手術の後遺症があれば、今頃どうなっていたかわかりません。

私はレイキヒーリングを医学博士で鍼灸師のコスモブライトの上野正春先生から直接指導を受けています。また、現在の日本のレイキ事情を海外に発信して世界から注目されている現代レイキの土居裕先生からも情報を提供していただきクライアントの不調を解消する技術を身につけています。

私は心と身体の不調を持っている方に、次のようにして不具合を解消しています。

はじめにメールやZOOMなどでクライアントから現在の不調の状態を詳しく伺います。

この時に不調を10段階で評価してもらいます。
また、その不調が改善されたら何がしたいのかどうなりたいのかの目標も聞かせていただきます。

続いて、身体全体のバランスを整えるために、まず身体の12か所にその後に不調箇所に手を当てたり、かざしたりします。

最後に施術前に聞かせていただいた不調の数値や目標がどのように変化したか確認します。

本来は対面でレイキヒーリングをおススメしますが、新型コロナ感染症の対策で自宅待機を余儀なくされている方も多いので、対面のレイキヒーリングが難しい方は遠隔でレイキヒーリングを行います。対面と同等の効果が得られますので安心してください。

ここで、私のレイキヒーリングを受けていただいた方の感想をご紹介します。

一人目は千葉県在住の主婦(30代 女性 H.Mさん)です。

どちらも時間がかかりましたが、飛躍的に良くなることができました。現在も油断すると発症してしまいますが、ストレスケアの方法も教えていただいたので、長くはかからず症状が改善しています。
レイキヒーリングを受けている間は、自分の心を深く掘り下げ、避けてきた感情を多く見ることになりました。
でも、それが自分を癒す近道なんだと改めて気づかされました。

2人目は千葉県在住の会社員(40代男性、S.Oさん)です。

少林寺拳法の練習中に右肘を痛めてしまいました。整骨院などを通院していましたが、症状は変化なしでした。
セッション中は右肘を中心に体が温かくなりました。
セッション後は右肘の痛みをまったく感じなくなり、このまま痛みと付き合うつもりでしたが、正直ビックリしています。
整骨院に行っていたのがバカらしくなりました。

4.目指す将来
私は健康な心と身体を維持するためには、自己治癒力を高めるレイキヒーリングをまず活用していただきたいと考えています。

人生に「、、、したら、」や「、、、いれば」というのは厳禁ですが、もし、二十数年前に身近にレイキヒーリングしてくれた人がいたら間違いなく、今とは違う自分がいたでしょう。

自分の心と身体を健康にしていくのは他の誰かがしてくれるものではなく自分自身でしかありません。

ヒーリングという手法は、ヒーラー(ヒーリングする人)が変化を与えているのではなく、クライアント自身が変化をしていてヒーラーはそのきっかけを作っているに過ぎません。

したがって、自己治癒力を高めるヒーリングという手法は、とても素晴らしいものだと思います。
また、定期的にヒーリングを受けることで、健康的な身体が維持できるのは当然ですが、感情や思考のクセを改善していくこともできます。

実際に私は自己ヒーリングをしてから、ネガティブに考えやすいクセや言いたいことをあっても言い出せないクセを改善することができました。

現在は大学時代の吹奏楽サークルの後輩と結婚し、2人の息子に恵まれ千葉県いすみ市で平日は会社員として職場の安全衛生を管理する仕事をし、週末はセラピストとして活動しています。

私の使命は、「こころと身体の健康を維持向上する手助けをして、みなさんの人生を豊かに過ごしていただく」ことです

将来は同じ志を持つ仲間と協力して、みんなの笑顔が溢れる社会にしていきたいと考えています。